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破壊こそ創造

バイオゴリラの猿言葉に影響受け過ぎなブログタイトル うつや社交不安障害持ちの野球好きが徒然なるままに色々ほざきます

実家のある町と障害者と

考え事

週刊文春やらそういった情報雑誌の類で電子雑誌のαシノドスを購読している。

synodos.jp

何号か前の「障害者とバリアフリー」についての特集を読んだが、その中に「精神障害者の施設は地域住民などの反対などにあって辺鄙な所にある傾向にある」って書いてあるのを見て思い出すことがあった。

何度も引っ越しを経験してるが人生の大半を過ごしてる愛媛のとある辺鄙な町に一応実家というものがある。
この町で過ごしてたある時(多分中学生くらいの時)精神障害者向けの施設を建設する話が持ち上がった。が、地元の大人たちの反対にあい別の科の病院ができた。子供の耳にも聞こえてきた話だし、かなり強硬に反対した人がいるんだろう。イオンだったか県外資本のスーパーが広大な空き地を買い上げる計画があったが、地元商店街の反対にあって結局地元資本のスーパーが買い上げたという例が市の中心近くで後にあったので、多分、古い記憶だし全く違う事例だけど実際あったことだと思う。
当時、同級生との交流に絶望してた頃だが、あれを見てこの町は大人も汚い人間しかいない町なのかと思った。閉鎖的でよそ者を許さない。四国の中では大きな市を構成する小さな町だが、田舎なりの都会っぽさは欠片も感じられない。市の中心近くに住んでいる祖父母や高校に進学した後他の町の友だちとの交流をしているうちにその考えは固まっていった。(大学進学を見据えながら、中学の同級生が極力いない高校を選んだ)
高校で良い友だちや同級生に会えたことが人生における救いになってるのはまた別の話。

小学校や中学校に障害者学級もあったが、みんなが心の底ではそこの子供をどういう目で見ていたのか、よく分かった気がする。
考えてみれば、広島の小学校では地域の人達がその障害者学級の子供も見守ってる感じがあった。子どもたちも積極的にそういう子どもたちと交流し助けあっていた。在学当時を含めこの町でそういう様子を見たことがない。
障害者学級が閉鎖区画のように感じられた。
学校では同和教育など差別に関する教育だけは熱心に行われていたが、どうしようもなく大人たちが偏屈で、それは子どもたちにも伝染してるようだった。
もしかしたらその施設のお世話になっていたかもしれない状況になった今、この町の人達は毎日家にいて日中にうろちょろしてる僕をどういう目で見てるかはあまり考えたくない。
幸いにも同級生に出会うことはない。大人になった彼らのFacebookをちら見したことがあるが、とても相容れるような人種ではなかった。

松山市は大好きだ。
だが、この町は、この掃き溜めは嫌いだ。