読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

破壊こそ創造

バイオゴリラの猿言葉に影響受け過ぎなブログタイトル うつや社交不安障害持ちの野球好きが徒然なるままに色々ほざきます

コミュ障と社交不安障害

考え事

www.huffingtonpost.jp

日本的なコミュニケーションって、なんだか「正解」の形が決まっている気がしませんか?

企業が求めていること、社会の空気が求めていること、相手が暗黙のうちに求めていることにピッタリ合わせられる人こそが、あたかも"コミュニケーションの達人"であるかのような、そんな印象をこの一文からも受けます。

なんだかすごくわかる。教育の段階から「そういう言い回しは駄目」って決まった表現しか許されなくて。

 

一方で空気を読むことが重視される日本社会でありながら、コミュニケーションというと対面しての「喋ること」もやたら重視され、電話や奥ゆかしき伝統ある手紙はOKでメールやインスタントメッセンジャーはNGという歪さがある。
じゃあ、しゃべらないことやその場に「いない」こともコミュニケーションの表現の一つではないかなと思う。空気を読むということではなく、相手の真意を汲み取るという意味で(空気を読むことの教養にも繋がるかもしれないけど)
これは過去に読んだ平田オリザの著作に書いてあったことだけど。

社交不安障害持ちとしてはスラングとしてのコミュ障という言葉は嫌いではあるけど、色んな人に立場を利用して自分の意見を押し通そうとする人や失言した時に「それは自分の真意ではない」と言う政治家など、そういう人たちこそが本来的なコミュ障じゃないのかなと思う。

要する日本での「コミュニケーション」というものは強者・声のでかいだけの奴に対して周りがどう合わせるかという能力にすぎないのではないのかと。

僕は社交不安障害持ちの上に、過去の電話営業の経験から電話がものすごく苦手で対面しての話し合いよりも苦手です。(対面も知らない人と話すのはものすごく苦手です。派手な運動した時並に疲れます)
なのでメールなどの文字を使ったコミュニケーションの方が得意なつもりなのですが、世の中それは認めてくれなくて息苦しいです。
(両親は僕に気を使ってくれてるからか、家に僕しかいない時、固定電話に出なくていいって言ってくれます。平日は変な電話しかかかってきませんし、本当に用がある人は僕や両親の携帯にかけますしね)

やたらと「我々の言ってることに合わせろ」「長いものには巻かれろ」な性質の日本のコミュニケーションだけど、コミュニケーション能力をやたら従士する企業の人達に聞いてみたい。
「あなた達は社交不安障害という病をどう思いますか?」