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破壊こそ創造

バイオゴリラの猿言葉に影響受け過ぎなブログタイトル うつや社交不安障害持ちの野球好きが徒然なるままに色々ほざきます

百点満点なんてありえない~欠点も受け入れたい~

考え事

agora-web.jp

【岩渕先生】
「政策を全部見て全部満足、って候補者はまずいないですし、政治家にしろ有権者にしろ、その一票について『全てが意に沿う相手だった故の投票である』とい う認識をするのは危険なんですよ。そういう認識で、政治家に『俺は全部オッケーされたんだから何もかも好きにやっていいんだ』って思われたらはた迷惑だ し、有権者がいっさいがっさいを政治家に任せてその後は見向きもしない、ってことじゃ民主主義の意味がないし」

【小池】
「一票を投じるってことは、その人に『百点満点です。文句ありません』ってお墨付きを与える行為じゃないんですね。それがわかっただけでも、ちょっと選挙の考え方が変わりそうです」

 エントリのタイトルにもなってるし、上記の引用部分がすごく重要なのだけれど、「百点満点なんてありえない」。
人が何かを求める時にそれが完璧なものであることはない。
だけれどもそれを認識してる人は少ない。
企業の人が生産者として百点満点を目指して商品づくりをするのは理屈としてわかるが、それを消費者の側が求めてしまうのが自分にはよくわからない。

よく「平等な報道」をという。そんなものがありえるのか。
朝日新聞があり、産経新聞があり、思想の違いがあり、それぞれの取材の得手不得手がある。
先のフランスのテロでBBCやCNNなどの海外大手メディアが日本メディアと比較して上位の存在としてもてはやされたが、速報性が先行して情報が錯綜する場面も多くあった。あれが完璧なマスコミかと言われたら首肯しかねる。
テレビやネットなど、更にその中で情報元をいろいろに使い分けることが必要ではないか。

これは野球でも言えることで、例えば「完璧」な打者や投手。
OPSが高くて盗塁成功率が高くて三振が少ない守備の堅い野手あるいは10割打者、防御率がよく四球が少なくK/BB高水準いつも最小の球数で試合を作る・毎試合投げれる。
そんなことはできないので様々なタイプの選手が集まり使い分け、チームを作っていく。当たり前のことだ。みんな当然そんなことはわかってるのだろうけども、当たり前すぎて特別意識することはないかもしれない。


http://livedoor.blogimg.jp/ikedanobuo/imgs/0/7/07730bb5-s.jpg

上記の画像のような「女が求める男の水準が高すぎる」ネタはTwitterでも様々に見ることができるが、果たして本当の意味でコレを笑うことの出来る人間はいかほどいるものだろうか。
色んな場面、対象に置き換えて振り返ってみてください。
僕自身も大いに賛成するべきところがあるように感じます。